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トナーカートリッジの処分の困難さとリサイクルトナーについて

2009
26
September

トナーはコピー機やレーザープリンタなどに使われるインク代わりの非常に微細な粉末で、静電気を利用して紙に付着させることができる物質です。トナーは通常、トナーカートリッジに封入されて取り扱われますが、使用後のトナーカートリッジは産業廃棄物となり、処分の難しいものになっています。そこで、使用済みのトナーカートリッジをメインテナンスし、トナーを最充填したリサイクルトナーと呼ばれるものが普及しています。
 “サッカーの王様”ペレ氏から、東日本大震災の被災者に宛た激励メッセージが届いた。

 95年からC大阪に2年半在籍した元ブラジル代表GKジルマール氏を通じて電子メールで送られてきた。ペレ氏は幼少期に日系人家族と親交があったことを明かし「1日も早く復興できるようにお祈り申し上げます。ボールは前に転がすもの。人生が続く限りボールを前に転がしていきましょう」とつづっている。クラブの公式サイトで公開している。

 東日本大震災から3週間余。津波で壊滅した宮城県名取市閖上地区では、がれきと化した町の中、家族らの思い出の品を捜し求める人の姿が絶えない。同市役所にも貴重品やアルバムなどが多数集まっており、持ち主を捜す作業も始まった。
 津波で流された自宅跡地で、大学生沢口佑衣さん(21)は砂まみれのマッサージ機と韓国語教材のCDを見つけ、声を詰まらせた。いまだ安否が分からない母由美さん(52)の愛用品だ。「お母さんがいつも使っていたんです」。
 地震発生時、JR仙台駅で由美さんの迎えを待っていた。「迎えに行けないかも」。携帯電話から、由美さんの泣き声が聞こえた。「私を迎えに来る途中で被害に遭ったのかもしれない」。佑衣さんは涙を拭った。
 沢口さん一家は3カ月前に同地区に引っ越してきたばかり。会社員の兄周平さん(26)は「口うるさくて、韓流にはまって…。本当に普通の母親だった」と奥歯をかみしめた。
 仙台空港で勤務していた針生秀子さん(58)は息子(32)とともに、13年前に亡くなった父と夫の位牌(いはい)を捜しに来た。流失した自宅敷地内には車の部品や電柱などのがれきが積み重なったまま。「どこから捜していいのか」。途方に暮れていた。
 名取市役所には、行方不明者の捜索を続ける消防や自衛隊などから財布や現金、保険証などの貴重品が毎日50〜60件届き、アルバムなどの思い出の品も多数集まっている。市災害対策本部では、津波に流された物と連絡先などを記載した「流出物届」を市民から提出してもらって照合を進めている。
 担当者は「がれきの撤去が始まると、届く物も増えると思う。態勢も強化して持ち主になるべく早く返したい」と話した。 

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 地震、津波、原発事故と「三重苦」の事態が続く福島県。例年なら春休みシーズンでにぎわうはずの観光地は大きな打撃を受けている。「原発はいつ落ち着くのか」。観光客を受け入れる地元関係者は、いら立ちと不安を募らせている。
 猪苗代町の野口英世記念館は、建物被害もなく1週間で営業を再開した。しかし、年間23万人を数える客足はピタリと止まり、来館者は「ゼロに等しい」(八子弥寿男館長)。原発から90キロ離れているものの、八子館長は「水も空気も大丈夫なので安心して来てほしいが、この状況はしばらく続くのではないか。できればゴールデンウイークまでには原発が落ち着いてほしい」と沈んだ声で語った。
 年間30万人が訪れる田村市のあぶくま洞。地震発生時、洞内に観光客はおらず、係員2人にけがはなく、鍾乳石1カ所の先端が折れるなどしただけで済んだ。しかし、道路が通行止めとなり営業休止に追い込まれ、ゴールデンウイークの再開も難しい状況だ。あぶくま洞は原発30キロ圏外にあるが、管理事務所の吉田典良所長は「市全体が屋内退避圏だと思われていないか心配だ」と話し、再開後の不安は払拭(ふっしょく)できない。
 映画「フラガール」の舞台となり、年間150万人が訪れるいわき市のスパリゾートハワイアンズでも再開時期は未定。建物被害は少なかったが、修繕費だけで数億円掛かる見通し。フラダンサー約30人の契約は何とか守ったが、契約社員約700人との雇用契約は3月末、更新しなかった。
 施設を運営する常磐興産の佐久間博巳・取締役営業本部長は「原発が落ち着き、家族連れが安心して来られるような状況はいつ来るのか」と途方に暮れた様子で話した。 

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 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。

 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。

 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。

 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

 ◆        ◆

 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

 一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。

 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

 官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。

 「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

 翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。

 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。

 事故を防ぐための備えは考えられていた。しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。班目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と言ったうえで、こう述べた。「その備えが足りなかった」

      ◆

 東日本大震災から人も国も再び立ち上がるには何が必要なのか。教訓を得るというには重すぎる出来事を後世にどう伝えればいいのか。あらゆる現場を見つめ直し、長い時間をかけて考え続けなければならない。随時掲載する「検証 大震災」の初回は、かつてない原発の大事故に政府や東電が当初どう対処したのかを報告する。【震災検証取材班】

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